2018年 01月 31日
2018年は周りを見ない 加筆修正版 |
昨年末、またもや神経科学の被験者になったよ、そして話長いよ。
5年ほど前に神経科学の被験者になった時、私は理系思考の持ち主であるということが判明し
驚愕したのですが、今回の実験でも、驚愕の事実が明らかになりました。
あ、前回も今回も、実験の被験者となり、その結果私が分類される範疇が明確になった、
というだけのことであって、単に母集団の標本の一人であります。
今回の実験で分かった事は、私の見ている事を、ほとんどの人は見ていない、ということでした。
別に私に超能力があるとか、賢いとか優れているということではありません、念の為。
例えば。
家で生活に支障が出ない小さな違いを、意図的に10個発生させたとします。
殆どの人はその違いに気付かない、またはひとつに気付く程度。
ちょっと敏感な人で4から5個の違いに気付き、その割合は10人に1人から1.5人。
私は、すべての違いに気付きました。
違いに気付き、それに上手に対処したり対策を立てられる人が、社会的に大成したり学者となったりするそうです。
私は違いに気付くだけで、「あ!なんか違うよね!」と騒ぐだけで、そこから一歩も踏み出せない惜しい人なんです、つまり、残念!
気付くこと、これが本当にストレス満載。
気付いてしまう以上、それについて悩んだり悲しんだり怒ったり笑ったり喜んだりと、ただでさえ感情の起伏が激しいのに、気付いた分の 喜怒哀楽を感じてしまうわけです。
感情のジェットコースター。
そりゃあ仁王立ちばかりしてるわけですよ、私。
私もストレスですが、私につきあう周りの人にとっても、ストレスだっただろうと容易に想像がつきます。
だって、よくわからない見えない事で(当事者である私には見えてるんですよ、)一喜一憂して、怒ったり愚痴ったり泣いたり笑ったりする人とつきあうの大変ですよ、私だったらいやですよ、とっくに離れてます。
私の周りの人たちには、申し訳ないことしてきました。
ということで、2018年になってから、周りを見ないようにしています。
以前習った構造化ワークシステムが非常に有効に働いてくれるので、見えることを1から3くらいにして、意識を遮断しています。
私は喜怒哀楽が激しいので、見たことで得られる楽しい事、嬉しい事もとても大きく感じられる反面
負の感情もとても大きく感じます、そして得てして人生は負の面が多い。
意識を遮断することで、負の面から随分開放されて、今までの人生の中で、一番ストレスが少なく生きているかもしれません。
それと同時に、雲や月の動き、風の匂い、桜の木のつぼみの小さな変化に、前ほど気付かなくなっていることに驚いています。
脳はつまり電気で動くたんぱく質だから、とおそ松博士。
なかなか一筋縄ではいかないようです。
マフラー泥棒のとび。
by yumikodi
| 2018-01-31 02:30
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